深沢儀太夫勝清は江戸時代の初期、九州で初めて鯨組を作り近海で鯨を捕っていました。 鯨肉などは彼杵港で陸揚げし、彼杵の商人達によって九州各地に送られていきました。こうして三百数十年前からの彼杵と鯨の深い関係が出来上がりました。 鯨は彼杵港を通じて九州各地に運ばれましたが、日中戦争の頃から鯨問屋や仲買人で任意組合を作り、「日本水産株式会社」と取引を開始しました。 続いて、太平洋戦争となり食品統制令で、「長崎県鯨肉配給組合」を発足し、そして昭和25年、彼杵鯨肉株式会社に引き継がれました。 彼杵港に陸揚げされた鯨は、昭和25年から彼杵鯨肉株式会社取扱いとなり、今も毎月1回入札会を開催しています。 |
今から約40年ほど前までは鯨と言えばナガス鯨が主流でした。 しかし調査捕鯨が始まり時代の変化と共に次第にミンク鯨に移って行きました。 その後、アイスランドからナガス鯨の輸入が始まり、以前主流であったナガス鯨をまた販売しようとこのナガス畝の湯引きを作りました。 |